石川県工業試験場

無機材料への漆塗膜形成技術の研究 −下塗り剤の利用による漆塗りグラスの開発−

■繊維生活部　梶井紀孝　藤島夕喜代　江頭俊郎

　本研究では，漆を無機材料に塗装するために下塗り剤を利用した漆塗膜形成技術の確立を目的としている。まず，ガラス板とステンレス板に各種類の下塗り剤を用いて漆塗装した試料を作製し，漆塗膜の耐熱水性試験における付着性を評価した。その結果，エポキシ系，アクリルシリコン系，シランカップリング剤を添加したウレタン系の3種の下塗り剤が有効であることが分かった。さらに，これらの下塗り剤を用いて，清酒用グラスへの漆塗装工程を確立し，漆塗りグラスを開発した。なお，本グラスの洗浄試験を行った結果，600回以上の洗浄にも耐える良好な結果を得た。
キーワード: 漆，無機材料，下塗り剤，清酒用グラス

Study of an Urushi Coating Technique for Inorganic Materials - Development of Urushi-Glasses Pretreated by Primers -

Noritaka KAJII, Yukiyo FUJISHIMA and Toshiro EGASHIRA

The purpose of this research was the establishment of an urushi coating technique for inorganic materials. Firstly, glass and stainless steel plates as test pieces were pretreated by certain kinds of primers, and these test pieces were coated with urushi on top of the primer. A hot-water adhesion test was performed in order to examine the mechanical properties of the urushi film. As a result, the effectiveness of three types of primers - epoxy resins, acrylic silicone resins, and urethane resins with silane coupling - was shown. Lastly, glasses for refined sake were developed by using these primers and by establishing a process of urushi coating. From the result of an adhesion test using a dishwasher, it was confirmed that the newly developed glasses could withstand over 600 washings.
Keywords : urushi, inorganic material, primer, glass for refined sake

１．緒 　言
　輪島塗，山中漆器，金沢漆器で全国的に有名な県内漆器業界では，椀や重箱等の木製漆器の需要が低迷する中で，漆が持つ和のイメージや，植物から採取できる天然塗料であるという特徴を活かして，金属製品や陶磁器製品に漆や蒔絵を装飾するなど，従来の木地以外の素地に漆を用いた新商品の開発が進められている。
　しかし，従来から使用しているビニル系の下塗り剤(プライマー塗料)を用いる方法や漆を材料表面に焼付ける方法では，その付着性と耐熱水性の低さが課題となっている。
　本研究では，これらの課題を改善するため，下塗り剤の利用による漆塗膜の形成技術の確立を目的とし，産地企業が漆塗装しやすい下塗り剤の検討を行った。さらに，ガラス板の耐熱水性試験結果が良好であった下塗り剤を用いて，漆塗りグラスの商品開発を試みた。

２．下塗り剤を用いた漆塗膜形成の実験
　産地企業が下塗り剤を使用して，漆を無機材料に塗装する場合の塗装工程を図1に表す。これら工程の中で，[1]素地調整，[2]下塗り剤の選定，[3]漆塗り条件の3点が，金属やガラスなどの無機材料に漆を塗装する際の付着性に大きく関与している。そこで，[1]ステンレス板表面を耐水ペーパで研磨した試験試料，[2]ガラス板とステンレス板に各種類の下塗り剤を用いた試験試料を作製し，[3]漆の塗装条件を同一として，漆塗膜の耐熱水性試験における付着性を評価した。

（図 1　無機材料への漆塗装工程）

２．１　下塗り剤の選定基準
　 無機材料に塗装する下塗り剤は，産地企業の要望を基に，従来から使用しているビニル系下塗り剤と比較して，以下の要件を満たすものを選定した。
[1]製品素地の表面を荒らすために，ブラスト装置等の設備を必要としない。
[2]下塗り剤は常温環境で乾燥でき，高温槽等の設備を必要としない。
[3]下塗り剤の粘度調整が可能で，スプレーや刷毛で塗装できる。
[4]漆の塗りムラやハジキの発生がなく，乾燥を阻害しない。

２．２　試験試料
　図2に試験試料の概要を示す。初めに従来手法に準じて，ステンレス板表面を耐水ペーパー(#600，#1000)で表面を研磨した。なお，ガラス板は表面を荒らさずにそのまま使用した。次に，塗装基板となるステンレス板およびガラス板を中性洗剤で洗浄(脱脂)の上，各種類の下塗り剤を取扱い指示に準じて塗料を調合し，下塗り剤を塗装後，20時間乾燥を行った。その後，フラットアプリケーターを用いて，上塗り用の朱合漆(産地で透漆として使用されている中国産精製漆)を塗装して試験試料を作製した。同時に，漆のハジキやムラの発生，および乾燥の阻害がないかを確認した。
　比較試料として，下塗り剤を使用しない試料に加え，従来産地企業で用いられてきた漆の焼付けによる試料とビニル系下塗り剤の試料を作製した。
　試験試料の漆塗装および乾燥条件を以下に示す。
漆塗装方法：100μmフラットブレードアプリケーターで塗布(漆塗膜の厚さ約50μm)
漆乾燥条件：温度30±2℃相対湿度80±5%RHの恒温槽で約12時間乾燥

（図2　試験試料の概要）

２．３　耐熱水性試験における付着性の評価
　漆塗膜を安定させるため，温度20±2℃相対湿度65±5%RHの恒温室で，試料を1ヶ月保管した後，耐熱水性試験を行った。具体的には，JISの塗膜試験方法1)に準じて，碁盤目に2mm間隔で塗膜をカットした試験試料を，90±2℃の熱水に浸し，1，3，6，12，24，48時間の段階毎に，同じ箇所に繰り返し粘着テープを貼り付け，引きはがすことにより塗膜の付着性を評価した。なお，JISの一般的な試験方法は，熱水に浸した後に塗膜をカットするが，ここではより厳しい条件での試験にするために，上記のように碁盤目にカットしてから熱水に浸した。

２．４　実験結果と考察
　耐熱水性試験における付着性の評価結果を表1に示す。表中の※1，2の項目に記載した時間は(表の脚注を参照)，付着性試験で分類5(塗膜の碁盤目カット部分がほとんど付着していない状態)になった時間を示し，24時間の段階で付着していた試料は24時間と記載した。また，24時間の段階で付着していた試料は，24時間の時点での評価分類を記載した。
　耐熱水性試験の全ての試験試料において，3時間後から漆塗膜の白亜化が目視で確認され，6時間経過すると塗膜の色が焦茶色から茶色に変色し，24時間の段階では，光沢が無くなるまで白亜化していた。なお，耐熱水性試験48時間の段階において全ての試料が漆層で剥離した。この観察結果により，今回の試験条件が十分に厳しいものであったことを確認した。
　以上のような耐熱水性試験における付着性の評価実験から，次のような結果を得た。
・エポキシ系，アクリルシリコン系，シランカップリング剤添加したウレタン系(表1では3液性)の3種の下塗り剤が良好であった。
・ビニル系は耐熱水性に劣った。
　なお，ステンレス板の表面を耐水ペーパで研磨すれば，耐熱水性は得られないが，付着性は飛躍的に向上することが分かった（表1の※1を参照）。よって，素地調整の工程は付着性の向上に有効と考えられる。

（表1　耐熱水性試験における付着性の評価結果）

３．商品開発
３．１　開発概要
　工芸品販売企業である(有)野村右園堂から「石川の吟醸酒の透明感ある色や口当たり，香りを楽しめる形状の清酒用グラス，目で楽しめる蒔絵を施した美術価値の高い漆塗りグラスを開発したい」と相談があった。そこで，山中漆器の産地企業と連携し前章の結果をもとに，漆塗りグラスの開発を行った。

３．２　清酒用グラスへの漆塗装工程
　清酒の香りが楽しめるワイングラス型のグラスを素地として選定し，その細く曲面の多い素地への塗装方法を検討した。具体的には，2章の3種の下塗り剤から選定し，塗装工程の検討を行った。
　実験結果から，[1]透明性が良い，[2]スプレーで厚目に塗れて肉持ち感があり，研磨できるという2つの条件を満足する下塗り剤は，3種の中ではシランカップリング剤を添加した3液性のウレタン系下塗り剤が透明性に最も優れていた。塗装工程は，まずこの下塗り剤を溶剤で粘度調整して，グラスの脚部へ塗装した。次に，下塗り剤の塗膜面を平滑に研磨し，上塗り用の黒漆(黒呂色漆)または朱漆(朱合漆に赤色の有機顔料を混練した朱漆)を3度重ねて塗装する方法が適切であった。このような工程により，重厚感のある漆塗膜を形成することができた。最後に，蒔絵技法で装飾を施した。
　図3に開発した漆塗りグラスを示す。製品の素地は全体が透明なグラスで，その脚部に，黒または朱の漆を塗装し，その上に絵柄の違う蒔絵を施している。

（図3　漆塗りグラス）

３．３　洗浄試験
　漆塗りグラスの要求性能として，業務用食器洗浄機による洗浄で，600回(1日1回使用で約2年分)の耐洗浄性を確保することが求められた。耐洗浄性は，塗膜の膨れと割れの確認，付着性，および色の変化によって評価を行った。試験試料は，黒と朱漆の漆塗りグラスを作製して，業務用食器洗浄機で以下の条件により600回の洗浄を行った。
・洗浄機：ホシザキ電機(株)JWE-400TUA3
・洗浄温度：約80℃
・洗剤：専用洗剤JWS-10DHG　 乾燥仕上げ剤sumaDRI-IT
　表2に洗浄前後の色および付着性の変化を示す。簡易型分光色差計(日本電色工業NF333)を用いて，色の変化を表す測色値は洗浄前後の漆塗膜の3箇所を測色して，L*a*b*色度図で色差2)の平均を記載した。測色の結果から，いずれも商品として問題のない色差であった。なお，朱漆の方が黒漆よりも変色しないことが確認できた。これは，朱漆で使用している顔料の効果と考えられる。
　以上のように洗浄試験の結果，選定した下塗り剤と塗装工程により作製したグラスでは塗膜の膨れや割れ，著しい色の変化等の異常はなく，目標とした耐洗浄性を確保できたと考えられる。今後の課題は，飲食店等での実使用における品質の確認である。

（表2　漆塗りグラスの洗浄試験結果）

３．４　今後の展開
　開発した漆塗りグラスは，(有)野村右園堂から「加賀蒔絵大吟醸グラス」として販売されている。また，石川県デザイン展デザインコンペティション2009に出展し，輪島漆器商工業協同組合理事長賞を受賞した。今後は，商品のバリエーションを増やすための支援を行う予定である。

４．結　　言
　下塗り剤を用いたステンレス板とガラス板への漆塗膜形成を目的として，下塗り剤の選定と耐熱水性試験における付着性の評価を行った。その結果，下塗り剤には，エポキシ系，アクリルシリコン系，シランカップリング剤を添加したウレタン系下塗り剤の3種が付着性に優れていることが分かった。なお，ステンレス板の表面を耐水ペーパで研磨すれば，耐熱水性は得られないが，付着性は飛躍的に向上した。
　さらに，上記の耐熱水性試験の結果が良好な下塗り剤を用いて，清酒用漆塗りグラスを開発した。漆塗りグラスを業務用食器洗浄機で洗浄試験した結果，選定した下塗り剤と塗装工程により作製したグラスでは塗膜の膨れや割れ，著しい色の変化等の異常はなく，目標とした耐洗浄性を確保できたと考えられる。
　今後は，本研究で得られた付着性の良い漆塗装技術を活かして，県内企業の新商品開発を支援すると共に，製品の要求性能に合わせた漆および漆の塗装方法について，引き続き知見を深めたい。

謝　　辞
　 本研究を遂行するに当たり，終始適切なご助言を頂いた産地企業の皆様に感謝します。

参考文献
1) JIS K5600-5-6. 塗料一般試験方法−第5 部：塗膜の機械的性質−第6 節：付着性(クロスカット法).
2) JIS K5600-4-6. 塗料一般試験方法−第4 部：塗膜の視覚特性−第6 節：測色(色差の計算).