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近赤外分光法による漆評価技術 -漆液成分の迅速分析-

■繊維生活部 江頭俊郎

 漆器の原料である漆液はそのほとんどを中国からの輸入に頼っている。漆液はウルシオール等の主成分,水分,ゴム質,含窒素物から構成されているが,天然物であるため品質にばらつきがある。その粘度や乾燥性,塗膜物性はその組成に密接に関係しており,漆液の品質評価のためには漆液組成を調べることが重要である。その分析法についてはJIS K5950に規定してあるが,煩雑で熟練を要するためあまり行われていないのが現状である。
この分析を簡便かつ迅速化するために,近赤外分光法の応用を試みた。近赤外分光法は近年コンピュータのハードやソフトの発展に伴って,食味計,工場のオンライン分析,無侵襲臨床診断など多くの分野で利用されはじめてきた。この近赤外分光法を利用することによって,漆液の分析時間が大幅に短縮された。
キーワード:近赤外分光法,漆液,品質評価

Study on the Evaluation of Lacquer Sap Using Near-infrared Spectroscopy
- Rapid Analysis of Lacquer Sap Ingredients-

Toshiro EGASHIRA

The lacquerware industry is highly dependent on imported lacquer sap from China. Since lacquer sap is a natural product consisting mainly of ingredients such as urushiol, water, gummy substances, and nitrogenous compounds, there is some variation in quality. Because the viscosity and drying capacity of the sap, and the physical properties of the film are closely related to the composition of lacquer, investigation of lacquer composition is important for the evaluation of lacquer sap quality. Although the method of analysis is specified in JIS K5950, it is seldom carried out, since it is a cumbersome procedure that requires skill.
In order to simplify and quicken lacquer sap analysis, a near-infrared (NIR) spectroscopy was used. In recent years, along with the development of computers and software, NIR spectroscopy has been applied in many areas, such as flavor measurement systems, on-line factory analysis, and non-invasive clinic tests. The use of NIR spectroscopy drastically shortened the time required for analysis of lacquer sap.
Keywords: near-infrared spectroscopy, lacquer sap, quality evaluation


1.緒言
 漆器の塗料として使われる漆液はその95%以上を輸入に頼っている。漆液はウルシオール(中国産,日本産)等の主成分,水分,ゴム質,含窒素物から構成されているが,天然物であるため品質にばらつきがある。しかし,その粘度や乾燥性,塗膜物性はその組成に密接に関係しており,漆液組成を調べることは,漆液の品質評価には欠かせない。その分析法についてはJIS 59501)に規定してあるが,煩雑で熟練を要し,しかも長時間かかるためにあまり行われていないのが現状である。
 一方,近赤外分光法はその波長が800〜2500nmの吸収や発光を利用した分光法であり,近年コンピュータのハードやソフトの発展普及に伴って,食味計,オンライン分析,無侵襲臨床診断など多くの分野で利用されはじめてきた。近赤外分光法の特徴は,透過性に優れしかもエネルギーの低い電磁波を用いるので非破壊,無侵襲の分析に適している。また固体,液体,気体などあらゆる状態の試料が分析可能である。さらに,中赤外に比べ水の吸収強度が弱いので水溶液や漆液のような含水試料の分析に適している2) 。最近の近赤外分光分析では,さまざま多変量解析ソフトを用い,複数成分の同時定量も可能になってきている。漆液の分析に近赤外分光法を用いた例はあるが,水分のみの定量に限定される3)。そこで,本研究では,この近赤外分光法を漆液の組成分析に適用することによって,漆液成分の分離操作を必要としないで,1回の測定で全成分を定量する迅速分析を試みた。

2.実験装置と方法
2.1 近赤外分光計
 本研究に使用した装置は,フーリエ変換方式の近赤外分光計(パーキンエルマー製)である(図1)。

(図1.近赤外分光計)

 その仕様は,以下の通りである。
<測定範囲>
  透過測定:680〜4800nm(14700〜2000cm-1)
  反射測定:700〜2500nm(14300〜4000cm-1)
<検出器>
  InGaAs検出器,DTGS検出器
<オプション>
NIRA(近赤外反射測定用アクセサリー)
ファイバープローブ

2.2 漆液の近赤外スペクトル測定
 漆液の試料をガラスのバイアル(ビン)に入れ,底から光を当て反射してくる拡散反射光を測定した。
近赤外スペクトルは温度の影響を受けるので,その測定は常に恒温室(20℃)で行った。測定範囲は,10000〜4000cm-1,分解能は4cm-1,積算回数は30回である。

2.3 従来法による漆液の組成分析
 JIS K5950に規定してある方法1)に従って,2000年,2001年産漆液の各成分分析を行った。分析スキームを図2に示す。加熱減量分を水分とし,主成分はエタノールで溶解した成分を秤量した。ゴム質は熱水に溶解した成分を秤量し,エタノールと熱水に不溶な成分を含窒素物とした。

(図2.漆液の分析手順)

2.4 漆液成分の検量線作成と迅速分析
Quant+というソフトウェアを用いて,検量線の作成と未知試料測定プログラムを作成した。多変量解析の手法としては,主成分分析を発展させたPLS2を用いている。

3. 結果
3.1 漆液の近赤外スペクトル
 漆液の近赤外スペクトルの一例を示す(図3)。ゴミだけを取り除いた漆液をバイアルに入れ,NIRAを用いて測定した。ノイズも少なく解析するのに十分なデータを得ることができた。

(図3.漆液の近赤外スペクトル)

3.2 従来法(JIS K5950)による漆液の組成
  漆液の近赤外スペクトルと成分組成の関係を求めるために,従来法(JIS K5950)による分析を行った。結果を表1に示す。水分は20.7〜33.8%,主成分は43.3〜71.2%,ゴム質は5.0〜18.4%,含窒素物は1.7〜4.4%の範囲に分布している。ベトナム産漆は中国産や日本産と同じ漆科ではあるが,学名は日本産と中国産がRhus vernicifera,ベトナム産と台湾産がRhus succedaneaである。そのために主成分の構造が若干異なり,成分組成も他の漆とはかなり異なるため特異な値を示している。しかし,相関関係はみられるので,ベトナム産のデータを数点追加するとさらに良い結果が得られると考えられる。

(表1.従来法(JIS K5950)による漆液の組成(wt%))

3.3 漆液成分の検量線
 表1のデータから近赤外スペクトルと水分量の検量線を作成した(図4)。同様にウルシオール(図5),ゴム質(図6)の検量線を作成した。含窒素物は漆液のそれ以外の成分とした。すなわち,含窒素物含有量は100%から水分,主成分,ゴム質の含有量を引くことによって算出した。これらの検量線を用いると漆液の近赤外スペクトルから各成分の組成を求めることが可能になった。水分,主成分,ゴム質に対する重相関係数はそれぞれ0.982,0.989,0.826で,推定値の標準誤差はそれぞれ0.887,0.772,0.532あった。十分使用可能な結果が得られたと考えている。

(図4.近赤外スペクトルと水分の検量線)
(図5.近赤外スペクトルと主成分の検量線)
(図6.近赤外スペクトルとゴム質の検量線)

3.4 漆液成分の迅速分析
 未知の漆液成分の分析結果を求める方法は,以下の通りである。
 [1]ゴミを除去した漆液をバイアルに入れ,NIRAを使用して近赤外スペクトルを測定する。
 [2]QUANT+の漆液成分分析のメソッドを選択する。
 [3]QUANT PREDICTIONを実行する。
 これだけで漆液の3成分の含有率が表示される。未知の漆液の近赤外スペクトルから,各成分含有量を求めた結果の一例を表2に示す。

(表2.漆液成分分析結果の一例)

MP04-101という漆液に対して水分17.43%,ウルシオール66.77%,ゴム質6.59%という結果が得られている。
 近赤外分光法を利用することによって,従来は1から2日を要していた漆液の分析が約5分で実施できるようになった。近赤外分光法によって,複数の成分を1回の測定で短時間に分析することが可能になり,その有効性が確認された。近赤外分光法の応用範囲は非常に広く,これから漆以外にも様々な分野で利用されるであろう。

4.結言
 従来の方法では,水あるいはエタノールの蒸発,乾燥,冷却等時間のかかる工程が多く含まれているので,漆液の各成分の組成を求めるのに1日から2日を要した。今回の方法では,漆液をバイアルに入れて,近赤外スペクトルを測定して,検量線を用いてコンピュータで計算をするだけであり,1試料当たり5分程度である。このように漆液の分析に近赤外分光法を適用することによって,分析時間の大幅な短縮が図れた。
 今後,県内の製漆業者や漆器産地の支援に活用していきたい。また近赤外分光法は,食品をはじめとする製造業,農業関係,医療関係など広範囲に利用されてきており,漆以外の分野への応用も期待される。

謝辞
 生漆の試料を提供していただいた輪島漆器商工業協同組合,能作漆店に深く感謝します。

参考文献
1)JIS K5950:精製漆.
2)尾崎幸洋:ぶんせき, No.6, 1997.p.56-63.
3)西川昭文,嶋崎暢子,谷内文男:福井県工業技術センター研究報告 No.9,1992.p.71-72.