
◆研究室の歴史
先生の顔ぶれ
精密工学科誕生
最近の様子
先生の顔ぶれ
横山 恭男 先生 金沢大学 名誉教授(昭和35年4月〜平成2年3月)
岡部 佐規一 先生 平成10年1月27日永眠(昭和39年4月〜平成10年1月)
石川 憲一 先生 現.金沢工業大学 学長(昭和43年4月〜昭和45年3月)
小泉 邦雄 先生 現.富山大学 教授(昭和45年4月〜昭和47年3月)
神谷 好承 先生 現.金沢大学 教授(昭和47年4月〜 )
青柳 誠司 先生 現.関西大学 教授(昭和63年4月〜平成8年3月)
疋津 正利 先生 現.金沢大学 助手(平成7年4月〜 )
関 啓明 先生 現.金沢大学 助教授(平成9年4月〜 )
精密工学科誕生
精密工学科設立の思い出 高沢 孝哉(元・金沢大学 教授)
金沢大学工学部の前身金沢工業専門学校の頃、精密機械科が設置されていた一時期があった。
(途中割愛)
かくして昭和35年、精密工学科は生まれるべくして再び生まれたのである。
当時の工学部長京藤先生は、その設立に懸命に努力され、次期工学部長岩名先生は一時精密工学科の教授として科の育成に奔走されたが、惜しくも他界された。
物理学教室から若島先生、電気工学科から水上先生、機械工学科から田中・横山・本多先生と私が精密工学科へ配置転換し、新しいスタートを切ったのである。
(途中割愛)
室生犀星の「美しき川は流れたり」ではじまる詩の一節に「こまやけき本のなさけと愛とを知りぬ」とあるが、このような心情は金沢ならでは理解できないのではあるまいか。
金沢大学工学部五十年史 より 抜粋
最近の様子
実験室の様子(1999.01.06 撮影)
フィーダーが片隅にしかなく、
パソコンやロボットが多いのは時代の流れか?
コンプレッサーの「シュポッ、シュポッ」という音は今でも。
音響室の様子(1999.01.06 撮影)
アナログ計算機がもうないのです。
この部屋で麻雀をしていたという伝説も?