平成10年度研究報告 VOL.48
海外産学官研究交流事業報告 |
−ドイツにおけるイオンビーム利用表面改質技術の調査と研究交流− |
|
 |
4.イオンビームを用いた硬質炭素膜改質の共同研究
4.1 目的
当工業試験場では,県内表面改質技術の高度化を図るため,セラミックコーティングに代わる次世代の耐摩耗性保護膜として利用が期待されている硬質炭素膜の実用化研究を実施している。その中で,硬質炭素膜は基材との密着性が低く,実用に供し得えないという問題を解決するため,これまでイオンビーム技術の利用による密着性改善を試みてきた3)。しかし,イオンの加速エネルギー不足や不純物の質量分離が不可能等の理由により,イオンビームが硬質炭素膜に及ぼす基礎的影響を十分に把握できなかった。
この点を明確にするため,イオンビーム利用研究で実績があり,高性能イオン加速器を保有するGSI研究所(図2参照)と,高加速エネルギーイオン注入による硬質炭素膜の改質について共同研究を実施した。
 |
図2 ドイツ重イオン科学研究所外観 |
4.2 実験方法
4.2.1 硬質炭素膜試料の作製とイオン注入
硬質炭素膜の作製は,当工業試験場のコーティング・イオン注入複合装置を用い,表2に示す条件の下,黒鉛を原料とした電子ビーム蒸着法により行った。膜厚は0.5mmとし,ラザフォード後方散乱分析(RBS)法による注入イオン分析のため,シリコンウェハを基材として用いた。
イオン注入は,GSI研究所が所有するカウフマン型イオン源および質量分離器を備えた300kVイオン加速器を用いて行った。試料ホルダーは,イオン注入中の温度上昇を防ぐため水冷されている。表3は,硬質炭素膜へのイオン注入条件を示したものであり,一価または二価のアルゴンイオンを加速エネルギー100keVまたは185keV,370keVで膜表面に垂直に注入した。注入量は5×1014
ions/mm2で一定とした。
4.2.2 イオン分布・硬さおよび密着性評価
硬質炭素膜に注入したアルゴンイオンの分布は,プローブイオンとして加速エネルギー2MeVのヘリウムイオンを使用したRBS法により評価した。
イオン注入後の硬質炭素膜の硬さは,圧子押込超微小硬度計(Fischer製H100)を用いて測定し,圧子押込深さ0.05mmでの押込荷重から,ビッカース硬さH(HV)を次式により算出した。
H=37.835・p/d2
ここで,pは押込荷重,dは押込深さである。
イオン注入後の硬質炭素膜の密着性変化を調べるため,当工業試験場に設置されているAEセンサー付きマイクロスクラッチ
試験機(CSEM社製MST- CSEMEX)を用いて,連続加重方式のスクラッチ試験を行い,膜が剥離し始める荷重(臨界剥離荷重)を測定した。使用した圧子は,先端曲率半径が0.2mmの円錐型ダイヤモンド圧子であり,スクラッチ速度10mm/min,荷重負荷速度1N/sの条件で試験を行った。
表2 硬質炭素膜作製条件
作製方法
膜原料
基板材料
電子ビーム加速電圧
電子ビーム電流
蒸着速度
膜厚 |
電子ビーム蒸着法
黒鉛
シリコンウェハ
3.65 keV
350 mA
10 nm/min
0.5 mm |
|
表3 イオン注入条件
注入イオン種
加速エネルギー
イオン電流
イオン注入量
イオン注入角度 |
一価または二価アルゴンイオン
100keV, 185keV, 370keV
0.1 mA/mm2
5×1014 ions/mm2
90゚ |
|
4.3 実験結果と考察
4.3.1 硬質炭素膜中のイオン分布
図3(a)は,アルゴンイオンを注入した硬質炭素膜のRBSスペクトルである。散乱エネルギー0.5MeVから始まるピークは炭素,1.0MeVから始まるピークはシリコン,1.0〜1.3MeVの範囲にあるピークはアルゴンイオンに対応している。
イオン注入時の加速エネルギーが高いほど,アルゴンイオンに対応するピークは低散乱エネルギー側にシフトし,アルゴンイオンが深くまで注入されることがわかる。また,加速エネルギー370keVの場合,シリコンピークの立ち上がりが緩やかになっている。これは,シリコンの結晶構造がイオン注入によって乱されていることを示しており4),アルゴンイオンが膜を貫通し,シリコン基材まで到達していると考えられる。
図3(b)は,RBSスペクトルを解析し,イオン注入深さを求めた結果である。なお,図中の破線は,TRIM97コード5)を用いて計算した加速エネルギーによるイオン注入深さの変化を示したものである。
RBSスペクトルの解析によって求めたイオン注入深さは,計算結果と良く一致することから,注入深さは加速エネルギーによって直線的に増加することがわかる。そして,加速エネルギー370keVでイオン注入した場合,注入イオンは,表面から深さ0.4mmの部分を中心に分布しており,イオン注入時のスパッタ効果による膜厚減少を考慮すると6),シリコン基材まで到達していると考えられる。
 |
 |
(a)RBSスペクトル |
(b)イオン注入深さ
図3 アルゴンイオンを注入した硬質炭素膜のRBS
スペクトルとイオン注入深さ |
4.3.2 イオン注入した硬質炭素膜の密着性
イオン注入した硬質炭素膜を,当工業試験場でスクラッチ試験し,試験中に検出されるAE信号強度の試験荷重による変化を測定した。図4(a)は,加速エネルギー370keVでイオン注入した硬質炭素膜の測定結果をイオン注入前のものと比較して示したものである。AE信号強度は,試験荷重がある値以上になると急激に増大することがわかる。膜が剥離したとき,AE信号が発生することから7),このときの試験荷重を臨界剥離荷重として求めた。
その結果を同図(b)に示す。硬質炭素膜の臨界剥離荷重は,加速エネルギー100keVや185keVでのイオン注入ではほとんど変化しないが,370keVでイオン注入した場合,大きく増大し,膜の密着性が高くなることがわかる。加速エネルギー370keVでイオン注入した場合,アルゴンイオンは母材まで到達することから,膜との界面が注入されたアルゴンイオンによってミキシングされ,消失したと推測できる。その結果,硬質炭素膜の密着性が向上したものと考えられる。
4.3.3 イオン注入した硬質炭素膜の硬さ
図5(a)は,イオン注入した硬質炭素膜を超微小圧子押込試験したときの圧子押込特性であり,これより圧子押込深さ0.05mmでの硬さを算出した結果を同図(b)に示す。加速エネルギー100keVでイオン注入した場合,硬質炭素膜の硬さは,イオン注入前のものとほとんど変わらないが,185keVでは,硬さは約1.7倍に増加している。さらに,370keVでイオン注入した場合,硬さは3倍にまで大きく向上している。
加速エネルギーが高いほどイオンは深くまで注入されので,それに伴って改質層は厚くなると考えられる。また,これまでの研究から,炭素膜に対してイオン注入すると,膜中の残存グラファイト成分が分解し,非晶質成分が増加すると考えられている8)。したがって,加速エネルギー増大による硬質炭素膜の硬さ測定値向上は,イオン注入による膜構造変化に伴う硬さ上昇と改質層厚さの増大によるものと考えられる。
以上のように,これまで加速エネルギー不足のため,当工業試験場では不可能であったイオン注入による硬質炭素膜の硬さ改善効果を明らかにすることができた。
 |
(a)スクラッチ試験中のAE信号強度の変化 |
 |
(b)イオン注入による臨界剥離荷重の変化 |
図4 イオン注入した硬質炭素膜のスクラッチ試験中に測定された
AE信号強度と臨界剥離荷重 |
 |
(a)圧子押込特性 |
 |
(b)イオン注入による硬さの変化 |
図5 イオン注入による硬質炭素膜の圧子押込特性と硬さの変化 |
5.結言
ドイツのシュタインバイス財団を訪問し,技術移転のノウハウを調査するとともに,ドイツにおける表面改質技術の現状と今後の動向を調べた。また,イオンビームを利用した表面改質技術についてGSI研究所と共同研究を行った。その結果を以下に示す。
(1)技術移転には,企業が抱える技術課題の的確な解析と企業ニーズにあった技術開発および事業展開のためのプロジェクトマネージメントが重要である。
(2)ドイツにおける乾式表面処理の主流は,PVD法によるセラミックスコーティング技術であり,大面積を有するワーク表面を均一で密着性良くコーティング処理できる表面改質技術の開発が求められている。
(3)硬質炭素膜の実用化において課題であった密着性の改善や硬さの向上が,高加速エネルギーイオン注入により図られる。
今後は,この海外研究交流事業で得た貴重な知見や経験を県内企業の技術支援に役立てていきたい。
謝辞
本交流事業を行うに当たって,ご支援頂いた日本原子力研究所楢本洋氏に感謝します。そして,ドイツ国内での調査研究においてご協力頂いた表面技術トランスファーセンター代表ムンター教授や,共同研究でご指導頂いた国立重イオン科学研究所ノイマン教授をはじめ関係各研究機関の方々に感謝します。
参考文献
1)広崎憲一 : 海外産学官研究交流,石川県工業試験場研究報告, No. 47, p. 101-104
(1998)
2)山田保之 : PVDによる金型の表面処理,表面技術, Vol. 41, No. 6, p. 609-614
(1990)
3)舟田義則, 粟津薫, 笠森正人 : コーティング・イオン注入による工具の高性能化,
石川県工業試験場研究報告, No. 43, p. 1-6 (1994)
4)L. Thome and T. Benkoulal : Temperature dependence of the amorphization
process induced by ion beam mixing in a metalic bilayer, Surfase and Coating
Tech., 65, p. 194-197 (1994)
5)J. F. Ziegler, J. P. Biersack and U. Littmark : The stopping and range
of ions in solids, Pergamon Press, New York (1985)
6)金原粲 : スパッタリング現象, 東京大学出版会, p. 22-24 (1991)
7)A. J. Perry : The Adhesion of Chemically Vapour-Deposited Hard Coatings
to Steel - The Scratch Test, Thin Solid Films, 78, p. 77-93 (1881)
8)Y. Funada, K. Awazu, K. Shimamura, H. Watanabe and M. Iwaki : Diamond-like
carbon thin film formation by ion beam assisted deposition, Surface and
Coatings Tech., 66, p. 514-518 (1994)