図3 恒温変態温度と機械的性質
図3に280〜375℃の範囲で900sのAQ熱処理を行った球状黒鉛鋳鉄の引張強度,0.2%耐力と恒温変態温度の関係を示したものである。図中の黒塗印は同温度で3.6ks恒温変態させたADIの値である。ADIの場合,引張強度,0.2%耐力ともに恒温変態温度の上昇に伴って減少している。これに対しAQDIは,基地が下部ベイニティクフェライト組織となる280AQ熱処理では強度の向上が見られないが,上部ベイニティクフェライト生成温度域でのAQ熱処理では,ADIと比較して引張強度の改善効果が認められ,特に325AQ熱処理試料では,耐力が1100MPaと著しく向上した。
図4 恒温変態時間と機械的性質
図4は最も高い引張強度を示した325AQ熱処理における恒温変態時間と引張特性の関係を示したものである。なお,図中には同温度で3.6ks恒温変態させたADIで得られた引張強度,伸びの範囲も示した。引張強度,伸びともに900s付近で最大値を示し,その後ゆるやかに減少している。ピーク時の引張強度では1370N/mm2が得られており,これはADIと比較して12〜15%高い値である。一方,伸びではADIに及ばず,最大でも5%程度であった。
図5には325AQ熱処理したAQDIと恒温変態後に空冷したADIのロックウェル硬さと恒温変態時間の関係を示した。恒温変態時間が150sではオーステナイトが不安定なため,空冷中に焼入され,AQDIとADIは同じ硬度を示しているが,恒温変態の進行に伴って両者の硬度差は大きくなる。これはAQ熱処理における焼入工程により生じたマルテンサイトの影響によるものと考えられる。325℃で恒温変態した場合,ADIの硬さは42HRC,AQDIでは45HRC程度であった。
図6に325AQ熱処理したAQDIのシャルピー衝撃値と恒温変態時間の関係を示す。なお図中には恒温変態後,空冷をして得たADIの比較値を示した。ADIの場合,変態時間が600s以下と短い場合は衝撃値が低いが,それ以上の変態時間では約90J/cm2の一定値となる。一方,AQDIでは,恒温変態時間が300s以下では極端に低い衝撃値を示すものの,600sで最大値を示し,以後は再びゆるやかに低下している。これは恒温変態の進行に伴って混合組織構成比が変化するためと考えられる。つまり,恒温変態時間が短い場合にはベイナイト変態が不完全なため,脆いマルテンサイトが基地組織中で占める割合が多くなり衝撃値が低いものと推察される。また,900s以上で再び衝撃値が低下するのは,ベイナイト変態が進んだ結果,凝固偏析部分に不安定なγプール(未変態オーステナイト)が形成され,水焼入時にマルテンサイト化して硬くなった部分が基地組織中で局部的に存在するからと思われる。つまり基地硬度の不均一が顕著になった結果,硬度差の大きな部分ではき裂の発生・伝ぱが起こりやすいと考えられる。しかしピーク付近の非常に狭い範囲であるが,ADIを上回る衝撃値を示す領域が存在し,この範囲では引張強度も最大となっている。
図5 恒温変態時間と硬さ変化
図6 恒温変態時間とシャルピー衝撃値
図7は325℃,150〜1.8ksの範囲でAQ熱処理をしたAQDIの金属組織を示したものである。恒温変態時間150sでは基地の大部分が笹の葉状のマルテンサイトであり,黒鉛周辺部にのみ少量の針状ベイニティクフェライトが観察される。恒温変態時間900sではベイニティクフェライトと層状オーステナイト,マルテンサイトが微細に入り組んだ構造になっており,γプールもマルテンサイト化した非常に緻密な組織となっている。このとき最も優れた強度特性を示した原因としては,ベイニティクフェライト中に割合よく微細分散した硬質マルテンサイトの分散強化機構によるものと推察され,伸びの低下は分散マルテンサイトが組織の均一変形を妨げたためである。恒温変態時間1.8ksでは,合金元素の偏析しやすい共晶セル境界に残ったγプールの一部がマルテンサイト化しているが,大部分のオーステナイトが安定化しているので,マルテンサイトはほとんど観察されなかった。
図8は衝撃値が最大となった325℃で600sのAQ熱処理を行ったAQDIの組織を走査電子顕微鏡で拡大観察したものである。針状ベイナイトの微細なラス間隔にオーステナイトが存在するベイニティクフェライトの特徴がよくわかる。また,基地中に点在する粒状のマルテンサイトが確認される。
図7 325 AQ加熱したAQDIの金属組織
図8 AQDIの拡大SEM写真
AQDIは焼入前の恒温変態プロセスの時間や温度により機械的性質や衝撃値に大きな影響を受ける。これは混合組織の比率が異なるためと推察されるが,図7に示すように組織が緻密なため,顕微鏡組織から体積率を求めることは困難である。そこで,ここではX線回折法による微細複合組織の定量解析を行った。この方法はマルテンサイト(α鉄)とオーステナイト(γ鉄)の結晶構造の違いに着目し,αとγそれぞれの回折線について積分強度を求め,その割合により各相の体積率を計算するものである。ここでAQDIの場合,ベイニティクフェライト相とマルテンサイト相では同じα鉄の回折面を持つことから,X線回折プロファイルは1つのブロードな波形として測定されるのでそのままX線回折法を適用できない。しかし体心立方晶で炭素をほとんど固溶しないベイニティクフェライトと体心正方晶で炭素を過飽和に含むマルテンサイト相とでは結晶構造,炭素固溶量の違いから,同一回折面からのX線回折プロファイルでも分離が可能であると考えられる。そこで,X線構造解析に利用される関数近似法により波形解析を試みた。なお,解析には疑似Voigt法と非線形最小二乗法を用いた高橋の波形分離プログラム11)を使用した。
分離された回折プロファイルの1例を図9に示す。回折角2θ=157.5゚を境に低角度側にマルテンサイト相,高角度側にベイニティクフェライト相のプロファイルが原波形に忠実に分離されている。このように分離したプロファイルの積分強度比からベイニティクフェライト相とマルテンサイト相の体積比を求め,さらにオーステナイト相との積分強度比の測定から複合組織の構成比を計算した。
この方法により,325AQ熱処理したAQDIについて,恒温変態時間中の各相体積率の変化を測定した結果を図10に示す。最高の引張強度特性を示した900s付近の組織構成を見てみると,3相がほぼ同じ割合で混在した組織構成となっている。AQDIが高い靱性を示した恒温変態時間600s以上では,すでにオーステナイトの体積率が30%を占めており,通常のADIと比較してオーステナイト量の制御がなされたとは言い難いが,0.2%耐力が大幅に改善されたことから熱処理型球状黒鉛鋳鉄の強靱化は達成したと考える。内部に黒鉛という介在物を含む鋳鉄では,靱性を確保するためには30%程度の残留オーステナイトが必要なものと思われる。また,各相の変化は1.8ks以上で一定値となることから,これ以上長く恒温変態させたAQ熱処理では強度の改善効果を期待できないと言える。
図9 回折プロファイル解析の一例
図10 恒温変態に伴う複合組織の構成率変化
恒温変態と焼入・焼戻しを組み合わせたAQ熱処理を提案するとともに,球状黒鉛鋳鉄に適用して従来法のADIを上回る強度特性のAQDIを開発した。得られた主な結果は,以下の通りである。
参考文献