超高強度・高靭性鋳物の開発
機械電子部 舟木克之・西村芳典・安井治之

 本研究では,恒温変態と焼入を組み合わせた複合熱処理法(AQ熱処理)を球状黒鉛鋳鉄に適し,従来法のオーステンパ球状黒鉛鋳鉄(ADI)の強度特性を上回る鋳鉄(AQDI)を開発した。その際,X線回折波形解析法により素地の微細複合組織構成比を定量した。得られた主な結果は,以下の通りである。
(1)基地組織が上部ベイニティクフェライトを呈する温度域でのAQ熱処理は,オーステンパに比べて引張強度, 0.2%耐力の向上に有効で,325℃で900sの恒温変態後に焼入した場合では,引張強度1370MPa,0.2%耐力1100 MPaの高強度が得られた。
(2)325℃でAQ熱処理したAQDIは,同温度で処理されたADIよりも20%程高いシャルピー衝撃値を示した が,破断伸びはADIの約60%程度に低下した。
(3)AQDIはベイニティクフェライト,マルテンサイト,オーステナイトの微細複合組織を持ち,X線回折プ ロファイルの波形分離解析の結果,最高強度特性の発現時には3相ほぼ同じ体積率の組織構成であった。
キーワード:オーステンパ球状黒鉛鋳鉄,複合組織,ベイニティクフェライト,恒温変態,X線回折,機械的性質

  1. 緒言

     球状黒鉛鋳鉄にオーステンパと呼ばれる恒温変態(ベイナイト化)熱処理を施した鋳物(以下ADIと記す)は,強度や靭性に優れ成形の自由度が高いので,鋼製部品の代替材としての活用が期待されている1)
     しかし,鋼に比べ弾性率や曲げ疲労強度が低く,機械加工性が悪いことなどから自動車の足まわりや動力伝達系の一部に使用されているにすぎず,ADIの用途拡大のネックとなっている。弾性率の低い原因は素地中に10数%含まれる黒鉛の影響に加え,α鉄よりも弾性率の低いオーステナイトが30〜40%と多量に残留しているためと考えられている2)。オーステナイトは加工硬化能が大きく,引張強度を高める効果がある反面,ひずみが加わるとマルテンサイト変態を生じて変形しやすく,耐力を向上させる効果は小さい。このことが高い引張強度の割には疲労強度が低い原因といわれている2)。本研究では,ADIの持つこれらの欠点を解消するため,恒温変態と焼入・焼戻しの複合熱処理による残留オーステナイト量の制御方法を提案し,球状黒鉛鋳鉄の機械的性質を飛躍的に改善する方法について検討した。

  2. 内容

    2.1 超高強度・高靱性鋳物の材料設計
     鋼材で最も強い組織は焼入により得られるマルテンサイトである。しかし球状黒鉛鋳鉄の場合,基地組織中に介在物としての黒鉛を含むため,通常の焼入処理では脆くなってしまい高強度は得られない3)。一方,鋳物をオーステンパすると,基地組織が針状ベイナイトと層状オーステナイトで構成されるベイニティクフェライト4)組織となり,強度と靱性に優れた材質になる。ベイニティクフェライトが強靱性を示す理由は,適度な硬さを持つ基地組織に加え,焼入変態に伴う余剰炭素が炭化物として析出せずにオーステナイト中へ拡散するためと考えられている5)。また球状黒鉛鋳鉄のオーステンパの場合,変態過程の比較的早い時間にオーステナイトの高炭素化が進み高い靱性を示すようになる3)。そこで今回の材料設計では,図1に示す靱性と強度に影響する組織因子を次のような方法で制御することとした。

     図1 超高強度・高靱性鋳物の
        材料設計概念
    [図1 超高強度・高靱性鋳物の材料設計概念] (1)強度の向上:鋳物の強度向上には基地組織の強化が有効であり,ADIのベイニティクフェライトの一部をマルテンサイトに置き換えて高強度化を図ることとした。また,Hall-Petchの経験則により金属の結晶粒微細化は,材料の靱性を損なうことなく強度を向上させるということが知られている6)。鋳鉄の共晶セルや黒鉛の微細化には,金型鋳造等凝固速度の速いプロセスの利用が有効である7)が,鋳型製作等鋳造上の制限が大きいため,本実験ではビスマス系接種材を鋳型内で直接接種8)することによりセルの微細化を試みた。

    (2)靱性の向上:熱処理型鋳鉄では,γ鉄からα鉄への変態に伴う余剰炭素が基地組織中に炭化物として析出すると靱性が著しく損なわれる9)ため,炭化物の析出を抑制する必要がある。鋳鉄中のSiは炭化物生成抑制元素であり,Siを多く含む鋳鉄のオーステンパは,ベイナイト変態時に排出される余剰炭素を残留オーステナイト中に拡散させ,安定な高炭素オーステナイトの生成に有効である2)。オーステナイトは柔らかく靱性に富んだ組織であるため,硬い基地組織中で適当に分散させることにより,負荷時に生ずる内部応力のクッション効果が期待できる。さらにオーステナイトの変態誘起塑性10)を誘発すれば,より高靱性化を付与することが可能と考えられる。

    2.2 AQ(オースクエンチ)熱処理

     図2 AQ熱処理工程
    [図2 AQ熱処理工程]  2.1項で材料設計した複合組織を得るために,図2に示すような複合熱処理を球状黒鉛鋳鉄に適用した。この熱処理は,基地組織に強靱なベイニティクフェライトを生成させるための短時間恒温変態プロセス,炭素拡散が不十分な不安定オーステナイトの除去と基地組の部分マルテンサイト化による強化をねらった焼入プロセス,生じたマルテンサイトの特性改善を行うための低温焼戻しプロセスより構成される。いわばオーステンパとクエンチの組み合わせであることからAQ(オースクエンチ)熱処理と呼ぶことにする。なお,焼戻温度はベイニティクフェライト組織が変化しない恒温変態温度以下の低温で行っている。

    2.3 供試材と実験方法
     実験に用いた試料は,FCD450相当の元湯(C%:3.6,Si%:2.7,Mn%:0.2)を75%Fe-Si合金で3.2%Siまで加珪し,厚さ25,幅200mmのYブロック状に有機自硬性鋳型(ペプセット)へ鋳込んで作製した。ブロック底部から10×10×55mmの無溝衝撃試験片および平行部の直径が8mmの引張試験片を作成し,それを900℃に保持した中性塩浴(塩化カリ50%:塩化ソーダ30%:塩化バリウム20%)中で3.6ksオーステナイト化後,280〜375℃の所定温度の塩浴(硝酸カリ52%:亜硝酸ソーダ48%)中に投入し,所定時間ベイナイト化を行った後に水焼入し,低温焼戻しを行うAQ熱処理を施した。なお本実験におけるAQ熱処理では恒温変態処理条件のみ異なるため,例えば325℃で恒温変態させた場合には325AQ熱処理と呼ぶことにする。


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